菊池恵楓園を訪ねた時のこと 北海道江差町「あすなろ福祉会」の報道で振り返る
西日本新聞「優生保護法」の陰で(中2023年1月18日掲載)に、あすなろ会が運営するグループホーム報道がが全国に波紋を広げたとの報道が。国立ハンセン病療養所「菊池恵楓園」の記事も掲載されている。
私が菊池恵楓園(熊本県合志市)を訪れたのは、看護教員1年目、2006年の学生研修に付き添った時だ。療養所にいた人は、国の誤った認識でハンセン病が「うつる病」とされていたために世間から隔離され、亡くなった後もその遺骨は引き取られないままになっているということを目の当たりにした。納骨堂の風景は今でも鮮明に残っている。その歴史を知ったことは学生にとっても、教員の私にとっても時が過ぎるほど価値あることだったと感じる。旧優性保護法下の強制不妊手術で菊池恵楓園の入所者34人が、救済法に基づく一時金320万円の支給対象者にされたのは2019年。
患者の隔離政策を進めてきた国の責任を全面的に認める熊本地裁判決が出た時の厚労省大臣は公明党坂口力氏。坂口元厚労省は2019年元患者家族に賠償判決出たインタビューで、ハンセン病の隔離政策「背景に国家主義」と語っている。
今頃になって「間違いでした。」と言っても、ハンセン病患者の青春や人生は戻らない。
今も、コロナ感染で差別が生まれている。こうした差別は病よりも大きな被害を生むこと。人権問題とは何かを私たち政治家は深く理解しなければならない。時として国家権力が、人権を踏みにじる可能性があるという歴史を学ばなければならない。